雑記

FBとTwitterばっかりいじっていたら、全然文章が書けなくなってしまった!
自分の考えをまとめるのにはやっぱりゆっくり考えて書けるようにならないと…
というわけで、たどたどしくブログを再開したいと思います。

3月までは超過密スケジュールで、なにをやったか記憶がおぼつかないほどだったけど、
新年度になってからとつぜん現場がなくなって、戸惑っている間に1ヶ月過ぎてしまった感じ。
あちこちにでかけて人とゆっくり話をしたりするなかで、少しずつ自分が回復しつつある(というより、やっぱ自分は壊れちゃってるなあと認識する)のを感じる日々です。
GW中も基本的にお休みだったので、祭りを観に行ったり、「心の宿ゆうこ」にお客様を迎えたりしながらゆっくり仕事していました。

サンバ&アートグループOVO NOVO(WEB作成中)がこの春からグループとして独立することになりました。
4月29日に初めてのミーティングとワークショップを小川公民館で開始。
震災直後から1年間、実行委員会のみんなと準備して、やっと迎えたこの日。
新しいメンバーも加わって不安定な部分が多いし、私も企画者としてでなく一メンバーとして参加するというスタンスにまだ慣れてませんが… 
1ヶ月に1回の定期練習と、初心者を対象にしたワークショップ開催、市内・市外へのイベント出演がおもな活動。個々の技術やクリエイティブな感性を磨きながら、たくさんの人々に愛される、元気で楽しいグループを目指します。
3年後、オリジナルのアート・ライブが発表できることを大きな目標に、大人子どもあわせて40名のすてきなメンバーたちと一緒に、こころ新たに進んでいきたいと思います。

きのうはパーシャクラブのライブを見るために上京。
少し早めにいわきを出て、上野公園の「チャリティブックフェス」をのぞいてきました。
広場にずらーーーっとならんだテントには、子ども関連の本を各出版社が軒を連ねて販売していて、透明のお買い物ビニールバッグ片手にお気に入りの本を選び歩いて、会計テントでお支払いというシステム。そのほか震災時に被災地を巡ったという読み聞かせキャラバンカーが出てたり、人気の絵本作家さんのサイン会があったり…さながら「絵本天国」(お財布の中身が寂しすぎる私にはある意味地獄でしたけど…)というかんじでした。出版社の人たちもテント前で自ら絵本パフォーマンスをしてたりもして、とてもにぎやかなフェスでした。
この夏、公民館との協働事業にゲストでお呼びする絵本作家のおくはらゆめさんも参加。サイン会は人が途切れず、全然おしゃべりできませんでしたが、子どもたちがおくはらさんにぴとーっとくっついてお話ししたり絵を描いてもらったりしている様子を見て、「この方にお願いできてよかったなー」って改めて思いました。紹介してくださったメリーゴーランドの増田さんに感謝。

チッタのイベントは、今年で9年目になる「はいさいフェスタ」というミニ琉球フェスみたいなイベントでした。モール内には沖縄料理やお酒、物産のテントが並び、エイサーや島唄のミニパフォーマンスも。
そうだった、ここは沖縄から移住してきた人が多く住む横浜・鶴見区からほど近いのです。
イベントのメインであるクラブチッタでのライブは、パーシャクラブとその仲間たちが出演。
パーシャクラブは、今年の10月、1年越しで開催予定の「ワールドミュージックコレクション」にお招きするグループのひとつ。
新良幸人さんは石垣島白保出身で、のびやかな声とチャーミングなキャラクターの魅力的な唄者。パーシャとしてのパフォーマンスは初めて拝見しましたが…素晴らしいライブバンドでした。沖縄の代表的な民謡をアレンジした曲構成で、客席からは指笛の嵐。古くからの友人であるかのようにメンバーたちを下の名前で呼び、泡盛をのみながら音楽を楽しむ様子は、ライブというよりパーティというかんじ。この空気をいわきで出すのはさすがに無理かもしれないけど、こんなふうにくつろいだ雰囲気で楽しんでもらえたらなあ…!
というわけで、楽しく準備を進めていきたいと思います!

今日はこれから仙台ARCTの千田みかささんがいわきにやってきます。
お泊まりは「心の宿ゆうこ」。3月に横浜で行われたTPAMのラウンドテーブルでお会いしました。今回でお目にかかるのは2回目ですが… あのとき語り尽くせなかったあれこれを、ゆっくり伺いたいと思っています。 

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ゆれないで

「いわきでつくるシェイクスピア・ファイナル」の幕があいた。
プロジェクトは5年間続いたが、昨年は、本番の1週間前に震災が起き、そのまま中止となってしまったので、本番は4回目となる。これまでで一番の参加者、そして一番の集客が見込まれている。
明日は15:00開演。開演前、14:46にはお越しのお客様とともに黙祷をささげることになっている。私たちチケット係も、手を止めてともに祈りたいと思っている。
その日はできるかぎり心静かに過ごしたい、喪われた命のためにただいのりたい。でも、アリオスで明日いちにちを過ごせることが、私にとってはもっとも心静かに過ごせる方法かもしれないと思う。

1年前、リオに旅立つ前、なぜだかぜんぜん行きたくなかった。休暇とはいえ招聘するアーティストに会いに行くんだし、チケットやビザも早々と準備していたので行かないわけにはいかなかったんだけど。
相棒に自宅の鍵の在処を言いおいたり、仕事のファイルのバックアップをわかるところにおいておいたり、戻って来れないことを前提とした旅の準備をしていた。なんと遺書まで書いていた(笑)。
東京へ向かうスーパーひたちの車窓から、勿来の海をみるのがいつも楽しみなのに、うっかりうたた寝してみられなかったことをくよくよと後悔した。わたしは、てっきり自分の命がなくなってしまうんだとばかり思っていたのだ。

3週間して、帰ってきたら、大好きなだいすきないわきは、「被災地」になっていた。
それから1年。わたしは、住まいも、仕事も、愛する人も喪うことはなかったし、たくさんの人たちの愛に支えられながらなんとかいわきで生きてこれたことに心から感謝しているが、そんなわたしですら、なくしてしまったもののあまりの多さと重さに呆然とする。ここで生まれ育った人たちならばなお、その苦しみははかりしれない。

「起こることのすべてには意味がある」というけれど、今目の前にある試練はほんとうに乗り越えられるものなのだろうか。乗り越えられたとしたら、その先にあるのは、いったいなんだろう?
せっかくだから、すべてを味わい尽くしたい、と思う。命がなくなるまで。

どうか明日は、地上のどこも、ゆれませんように。

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おでかけアリオス。

今日は11回目の月命日。はやいなあ…
2月1-3日の3日間、メゾソプラノの菅家奈津子さんのおでかけアリオスだった。3つの小学校で、5回のコンサートを行った。
菅家さんは本来2月4日にアリオスでリサイタルも予定していたのだが、震災後の企画再編成でリサイタルは残念ながら中止、おでかけアリオスのみをお願いすることになった。事情をくみ快諾してくださった菅家さんにはありがたく、申し訳なくも思った。
今回の菅家奈津子さんのプログラムでは、途中、子どもたちに好きな歌を合唱してもらう場面があった。1コーラスめは子どもたちだけで歌い、2コーラスめ以降は菅家さんも子どもたちの列中に入り込み一緒に歌う。「昨日まで見知らぬもの同士だった私たちが、こうして歌によってつながることができる、これも音楽の持つ力の一つだよね」と菅家さんが語りかけると、子どもたちは目をまんまるくして、嬉しそうに笑ってくれる。
今日の午前中、宮小学校の1-3年生の選んだ曲は「あの青い空のように」。1コーラス目がおわって、子どもたちの中に入った菅家さんは唇をきゅっとむすび、うつむいてしまった。曲が終わると、伴奏の石井里乃さんも菅家さんもぽろぽろ涙をこぼし、なかなか言葉にならない。1年生の女の子が菅家さんに「感動しちゃったの?」と問いかけてきて、やっと笑いがこぼれた。
こうやって書いてしまうとなんだか月並みなことのようにも思えるし、出演者のほうが感極まってしまうなんてほんとはちょっぴり反則なんだけど… あまりの天真爛漫でまっすぐな歌声に不意をつかれてしまった二人の気持ちは、スタッフも含め周りにいた大人たち全員が共有していたと思う。というか、全員で胸いっぱいになってしまったのだ。
「ライブは交感である」ということを、改めて思い知ったハプニングだった。

学校でのおでかけアリオス、一部の番外編をのぞいて今年度分が全て終了したことになる。例年は40本程度だが、今年度は復興応援プログラムとして大幅におでかけアリオスの本数が増え、全部で75本となった。(あと2プログラム残ってますが)
4月に事務所業務が再開してすぐ、企画制作のメンバーで分担し市内の学校をまわって先生がたにお話を伺ったときのこと、たくさんの方から「アリオス頑張れ」と励ましの声をいただいたこと、6月に劇団ままごとのワークショップからおでかけアリオスを再開したときのこと… いろいろなことが胸に蘇ってきた。たくさんのひとに、助けられ励まされ続けながら、この11ヶ月を過ごしてきていたんだな… 
感謝して、生きていかねば。

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ファベーラ・ツアー

リオ旅行記の続き。

私たちが通りかかったのは、「サンタ・マルタ」という小さなファベーラ。
ファベーラは、いわゆるスラム街のこと。岩山の山肌にへばりつくようにして建っている家々はほぼファベーラといっても間違いない。一般的に治安が悪いエリアで、以前は地元の中層階級の住民でさえ近づくこともできなかったらしいが、現在は比較的治安の良いファベーラを観光資源として評価し、住民が集落の中を案内するツアーが行われている。
インフォメーションのそばに立っていた青年に声をかける。チャゴさんという30歳の男性で、この集落のファベーラ・ツアーガイドのリーダー格らしい。集落の右手(裏側)にあるケーブルカーにのってまず一気にてっぺんまであがり、そこから徐々におりていきながら集落を巡るという1時間半のコースで、1人50レアルくらいだったかな。
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中に入るとまず、最初に雑貨屋があって、表のテーブルにはおじさんたちが昼間からたむろって、タバコふかしながらビール飲みながらカードをやっている。いきなりビビる。
ぐんぐん坂を上っていく、左右に見える家はレンガやブロックを積み上げただけのような家々。排水がちょろちょろ流れていて、ときどききつい臭いがする。電気はふもとの街から勝手に電線を引っぱってきて使っているらしい…ときどき団子のようにこんがらかった電線を見た。
サンタ・マルタはもともと、ふもとにある教会の建設のために雇われた人々によって、1965年から75年にかけて作られた。集落のいちばんてっぺんに「ドナ・マルタ」とよばれる教会がある。これがサンタ・マルタのまちのはじまりで、そこから横や下に向かって徐々に集落が広がっていった。現在約6,000人がすんでいる。ドナ・マルタよりもう少し上には警察の建物があって、集落全体を警備している。ケーブルカーに乗るときにもポリスにであった。
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ケーブルカーに乗り込むと、口の周りに菓子くずをいっぱいつけた男の子が乗って来た。わたしとMAKOさんの顔をかわるがわるみながら、「日本人?」って聞いて来た。「そうだよ」と返すと「日本人、知ってるぞ!あんたはナカタか?」と聞いて来た。やっぱりサッカー王国だね。

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ケーブルカーを降りて、あちこちを歩いている間も、とにかくたくさんの子どもに出会った。顔の前で親指と人差し指をすりあわせながらニコニコ笑ってる。最初は「かわいいな」と思ってみてたんだけど、どうやら「カネくれよ」というジェスチャーだったらしい… 亮さんのワークショップに参加する子どもたちと同じくらいの年に見えるけど、たぶん彼らは満足に学校に行けていないんじゃないかと思う。

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サンタ・マルタは、以前からアーティストがよく出入りしていたらしい。マイケル・ジャクソンが「They don't care about us」のPVロケ地に選んだのをはじめ、マドンナ、ビヨンセもここを訪れている。また、オランダのアーティスト集団が滞在し集落の建物をペインティングするプロジェクトもあったそうだ。
この混沌・雑然とした、ファベーラに潜むエネルギーに魅せられる人の気持ちは理解できる気がした。

案内をしてくれているチャゴさんはアーティストだ。フォトグラファー、DJ&ダンサーとして活動し、それで生活している。ファベーラの様子を撮影した写真を見せてもらったがどれも魅力的だった。モノブロッコの関連企画で彼の写真展をやりたいと思っていたくらいだ。
チャゴさんが活躍しているアンダーグラウンドの世界のことを、MAKOさんはあまり好きじゃないと言った。わたしは歌手として、美しい言葉、美しい音楽を表現したい。スラングやネガティブな言葉では、人の心を曇らせてしまうのではないか、と。
そしたら、チャゴさんはこう返して来たそうだ。
美しい音楽だけが人を救える訳じゃない。この世界にはいろんな人間がいて、なかには悲惨な境遇のやつもいる。彼らの心を動かすのにはファンキでなくてはならない、そんなときもある。ダンスのおかげでマフィアの世界から抜け出すことができた仲間だっているんだ、と。
チャゴさんは、ファベーラに生まれ育ちいまもそこで生きているという境遇を、アートの力をかりて肯定的なエネルギーにしている。すごいたくましさだなと思った。
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ガイドがおわり、集落の入り口でさよならをして振り向いたとたん、すごい勢いで涙が出て来て、嗚咽するほどないた。あの子どもたちに会うために、チャゴさんに会うために私はブラジルに来たんだな。これがこの旅のほんとの目的だったのかもしれない、と思った。早く帰って、OVO NOVOの子どもたちに会いたい、と思った。

そして、3月11日がやってきた。

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思い立って、旅行記でも。

角田光代の「幾千の夜、昨日の月」というエッセイを、湯船につかりながらちびちび読んでいる。
たくさんの旅先での夜の風景を読み進むうちに、わたしはリオの旅のことをだいぶ忘れてるなあ…とおもった。ので、ちょっと書いてみようと思う。

3月10日。MAKOさんにお願いして、あちこちに連れて行っていただくことにしていた。
午前中、タクシーでポン・ジ・アスーカルへ。
「タクシーで」とひとことで書くとなんてことないけど、気安く自分で呼び止めたりしちゃだめらしく(ぼったくられたり、ちがうところにつれてかれたり大変らしい)MAKOさんがわざわざ知り合いのドライバーを手配してくれた。
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ポン・ジ・アスーカルとは「砂糖パン」という意味。
たしかに、どでかいコッペパンみたいなかたちをした岩山で、ふたつのロープウェイをのりついで頂上へ向かう。もう、ここまで高いと怖いとも何とも思わなくなる…というくらいの高さを、急角度でのぼっていくロープウェイ。眼下にひろがるビーチはあっというまにジオラマと化した。
山頂にたどり着いて時計を観ると、MAKOさんとの待ち合わせまで2時間近くある。
人ごみをさけて裏手の山道をすこしずつおりていくと、静かにたたずむ老人や、背中をぴったりくっつけたままそれぞれの読書にふけるゲイカップルやらにぽつりぽつりとであう。さらに人気をさけて緑が黒々と茂る林をおりていくと、光も影もおどろくほど濃くて、まるで渡辺亮さんの描く絵の中に入り込んだようだった。瞑想しているときみたいに、すっぽりと心が静寂に落ちていった。
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ポンジアスーカルからおりると、麓でMAKOさんが待っていてくれた。
ボタフォゴ、というまちを目指すことにした。景色を楽しみながら気の向いたところで時々おりて観光しようということになり、バス停へ向かう。
リオのバス停には時刻表がない。24時間ノンストップで走っているのだけど、いつ、どこ行きのバスがやってくるかはさっぱりわからない。まあ、30分も待ってりゃ来るでしょう、というかんじで、おしゃべりしながら気長に待つことに。…結局、45分もバス停でおしゃべりしていた。しかも、乗ったバスは表示と違う方向へ…!?あわててMAKOさんが車掌さんに尋ねると、「最終的にはそっちのほうへいくから」と。経由地を勝手に変更したらしい。あはは。ずいぶんな遠回りになることがわかったけど、結局そのおかげでいい体験ができることになる。
コルコバードの丘の麓のまちで一回バスをおりる。雲に隠れて巨大キリスト像は見えたり隠れたり。あちこちウィンドーショッピングしたあともう一度バスに乗り、ジャルジン・ポタニコ(植物園)通りを抜けてボタフォゴというまちへ向かう途中、MAKOさんがファベーラ・ツアーの看板を見つけた。
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…疲れたので、つづきはまた明日…


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備忘録

きょうの広島は朝から雪。そんなに寒くないんだけどなあ…
朝すこし早めにうちを出て、鷹野橋のサロンシネマで友人と映画を見て、
午後からは、いわきの友人と合流し、平和公園の碑めぐりにまぜてもらった。
ガイドしてくださった大月さんは、広島で義捐金を呼びかけ、たらちねに放射能測定器を寄贈してくださった中心人物だ。公園を歩き回り、碑の前で聞かせてくださった話には、これまで知らなかったこともたくさんあり、とても勉強になった。
その後、袋町小学校となりの市民交流センターに移動して、春風三平さんによる被爆体験を聞かせていただいた。
春風三平さんとはもちろん芸名、本名は月下さんとおっしゃる。ふだんは市内の教会の牧師さまで、お人形のしんちゃんとともに、腹話術による語り部活動をされている。もう40年以上にもなるそうだ。
67年前の8月、月下さんは爆心地から4キロの距離にある戸坂で被爆された。
2歳8ヶ月。被爆の直接的な記憶はないそうだが、お兄さんやご両親からの被爆体験を話して聞かせてくださった。
月下さんは、「原爆の子の像」の佐々木禎子さんと同い年。原爆投下から10年たった頃、禎子さんの死を知ってから、原爆症への不安をはじめて意識されたのだという。幸いなことに大きな健康被害を感じることはなく過ごされたとのことだが、被爆者手帳をお持ちで、注意深く過ごしてこられたとのことだった。

月下さんは話してくれた。
広島の人は長く、原子爆弾のほんとうの恐ろしさを知らされることなく生きていた。米軍は直後から調査をしていたのにも関わらず、その結果を長く隠して続けていた。原爆症で体調を崩す人々に、医師はなすすべを持てないまま十数年を過ごさなくてはならなかった、と。
福島でも、事故後ごく初期の段階で知らないうちに被ばくしている人たちの、その後の健康被害が心配だと。注意深く管理していくことが重要なのだ、と。

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わ。

アリオスの事業でベビーシッターをお願いしているウェンディの代表の三浦さんと、スタッフの吉田さんはなんと広島出身。とくに三浦さんは隣町の船越出身で、現在2人のお子さんと一緒にこちらで避難生活をされている。そして田人のふくふく牧場さんは安芸高田に身を寄せている… というわけで、近所のファミレスに集まってミーティングすることに。みっちり4時間、しゃべくりました!

夏の終わりくらいから、広島の有機野菜を、いわきで小さなお子さんを育てているお母さんたちに食べてもらいたい、ということで相談をしていた。これには紆余曲折があり、私はいったん挫折しかけたが、在広島の三浦さんとふくふくの奈津さんの尽力で、協力してくれる農家さん探しや、いわきでの販売拠点探しなど、ようやく、年明けからいよいよというところまで話がまとまってきた。
いわきでは、たとえばいわき農産物見える化プロジェクトや、いわき放射能市民測定室「たらちね」の開設など、放射能被ばくについて自己管理するための情報提供や設備の整備などが独自に進められつつある。国の示す基準を信頼することが難しい今、情報を自分でチェックしながら、少しでも納得(または少しでも不安を払拭)できる方法を、自分でひとつひとつ選択しながら生活しなくてはならないのだ。
子供たちに少しでも安全でおいしいものをと願う親御さんたちに、そうした「選択肢」を一つでも増やしてあげることができたら、と思っている。

今回のプロジェクトには直接関係ないものの、私の友人や親戚、恩師なども、いろいろ気にかけ支援してくれている。ほんとうに、ありがとう。

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ありがとうございました

あと1時間あまりで2012年へ。
いまは熊本のホテルでこれを書いています。
さっきまで、元アリオススタッフのちーぼーとお茶を飲みながらおしゃべりしていました。

震災以後、ほんとうにたくさんの方々に支えていただきました。
年賀状は、きちんとお礼の言葉を書いて送ろうと思っているのだけど、
あふれかえっちゃってまだ全然着手できていません…
残りの冬休みにがんばって書きたいなあと思っています。

夕食の席で、両親が、冗談めかしながら、これまでどんなに心配していたか、
という話を聞かせてくれました。
「ほんとうは帰って来てほしいという気持ちもあったけど、自分で決めたんだから、
自分がいわきのこれからを変えていくというぐらいの気概で頑張れ」
と父にいわれてちょっとどきっとしました… 
そして、情けないけど今頃になって、申し訳なく、ありがたく思いました。

来年は、仕事でこれまでとは違うことにいくつかチャレンジすることになっています。
自分の気力と体力がほんとに続くのか正直まだ不安ですが、そろそろ覚悟しないと。
生かされてここにあるのだから、ひとつひとつ、大事に取り組んで行きたいと思います。

感謝と愛を込めて。

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とどきますように

今日、小名浜第一小学校で行われる「東北復興応援コンサート・アイルランドからの歌の贈り物」のため、
出演のリアム・オ・メンリィさんとスタッフ、そしてアイルランド大使のジョン・ニアリー氏が昨晩いわき入りされた。予定より早い到着だったので、きゅうきょ夕食をご一緒することになった。

公演の実現には2年にもおよぶ長いストーリーがあるが、今回はとりあえずそれは省くとして…
今回の公演を主催する、ジョン・二アリー大使に、おたずねしてみたいことがあった。
プランクトンの川島さんから、大使が震災直後に自ら運転して被災地を訪ねた、というエピソードを伺っていて、そのことに驚きと疑問を感じていたから。一国の代表たる方が、まだ安全も確保されない状況でそこまでの行動を起こされたのはなぜなのか。

震災直後、大使館には本国から、在日アイルランド人の安否を尋ねる問い合わせが相次いだ。
ひとりひとりに連絡を取り、安否確認をしたがどうしても連絡を取ることができない人が仙台に2名いたとのこと。本国の家族の連絡を受け、直接行って確かめるしかないと思い立ち、車を走らせた。
そ当時仙台はまだ大規模停電中。余震も続き、高速も閉鎖されていたが、完全スルーで仙台入りし、二人のアイルランド人の自宅を訪ね無事を確認し、その後の帰国の手配をしたそうだ。
訪ねてこられた人たちは感激しつつも「なんで大使がわざわざ!?」と驚かれたそう。
そりゃそうだよ、びっくりするよ。
でも、その大使の行動力に、アイルランドの家族の人々も感服したことだろう。

大使はきっと、一人の人間として純粋に行動することを選んだのだと思う。
自国の国民を守るためにとるべき行動にはさまざまな方法があり、それだけが正しい、ということはない。
でも、ジョン・二アリーさんの魂は、そうしたい、そうすべき、と思ったから、自ら動いたんだな。
そういうことなんだ、とおもった。

アヌーナのメンバーも、リアムも、「ひとりひとりと向き合うこと」の大切さを心得ておられるすばらしいアーティストたち。彼らの音楽にのせて、大使の思いも一緒に届くといいなあ、と思う。

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いたいのう。

(今回は男子の皆様には適さない内容ですすみません。)
ここ2年くらい、毎月毎月ひどい痛みに悩まされていたんだけど、とうとう我慢できなくなり、意をけっして病院に行ってきた。子宮腺筋症、との診断。内膜症の一種だそう。
手術しましょうといわれても困ると思うが、毎回気が遠くなるほど痛いのに(おおげさでなく!)、鎮痛剤のんでがんばるしかないと言われてなんかもー… お医者さんも看護婦さんもむっちゃ忙しそうであんまり根掘り葉掘り聞けず、うちにかえってケイタイで調べまくる。(Macはいまだ入手できず。)やっぱりあんまりいい治療法はない。ピルはのみたくない… あるサイトには妊娠するとよくなると…はあ…けんかうっとんのか!
やっぱここは自然療法をあたるのがいいのかな。いい養生法をご存知のかた、ご教示ください。

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